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東京地方裁判所 昭和62年(ワ)9420号 判決 1992年10月16日

主文

一  被告らは、各自、原告ら各々に対し、各金一七一三万二五〇三円及びこれに対する昭和六〇年三月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、被告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

理由

一  請求原因1(当事者)(一)及び(二)の各事実は、いずれも、各当事者間に争いがない。

二  原告花子の妊娠・分娩経過について《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

1  原告花子の妊娠・分娩経過

(一)  原告花子は、昭和五八年二月一七日、本件病院の産婦人科を初めて受診したところ、妊娠五週目であり、出産予定日は同年一〇月一六日であると知らされた。更に、同年三月一七日、本件病院で超音波検査を受けたところ、双胎であることがわかつた。

(二)  それ以降、原告花子は、定期検診・母親学級・保健指導等を受けるため、本件病院へ通院を続けたが、途中、貧血、肝機能障害等の症状がみられたものの、概ね経過は順調であり、母体・胎児ともに異常はみられなかつた。

(三)  妊娠三四週目に入つた同年九月九日、原告花子は、少量の出血があつたため本件病院に来院し、当時産婦人科部長であつた松山栄吉医師の診察を受けた。同医師が原告花子を診察したところ、外子宮口は閉鎖していたが、同医師は、双胎であることも考え、切迫早産の可能性を考慮してそのまま入院させることとした。

(四)  入院して後は、本件病院の産婦人科医の一人である石川弘子医師が原告花子の主治医となつたが、当時産婦人科医長であつた被告日景医師も、石川医師と共同で原告花子の診察にあたつたり、石川医師に対して指示を出すなどしていた。両医師は、早産を予防するため、入院時から同月一二日にかけて、原告花子に対し、子宮の収縮を抑制するズファジランの筋肉注射を定期的に行つた。

(五)  同月一〇日、石川医師が超音波による検査を行つたところ、胎児らはいずれも、頭部を下にした正常位であり、出生体重は二〇〇〇グラム程度の低出生体重児と予想されることがわかつた。

(六)  同月一一日から一四日までの間、第一児については分娩監視装置により、第二児についてはトラウベを使用して、断続的に心音を確認したところ、二児ともに心音は正常であつた。なお、胎児らの心音を確認した助産婦は、その都度、原告花子の入院診療録である乙第二号証に、「KTH(児心音)良好」と記載しているが、これは、第一児及び第二児ともに心音が一三〇~一四〇/分であつたことを表す趣旨である。

この間、原告花子自身も、不眠による疲労の外は特に異常はみられなかつた。

(七)  同月一五日午前三時三〇分、約五分毎に子宮収縮がみられるようになり、同日午前四時三五分ころ、当直医であつた陳医師が原告花子を診察したところ、子宮口は三センチメートル開大しており、血性分泌物がみられたため、同医師は、ズファジランの持続点滴を開始した。しかし、その後も出血が続いたため、伊藤奈菜子助産婦(以下「伊藤助産婦」という。)は、同日午前七時〇五分ころ、被告日景医師の自宅に電話をかけてその指示を仰いだ。被告日景医師は、原告を陣痛室へ移し、ズファジランの点滴を中止して様子をみるよう指示した。

同日午前八時三〇分、被告日景医師が原告花子を診察し、子宮頚部のびらんからの出血と判断してガーゼによる圧迫を行つたところ、しばらくして出血は止まつた。

(八)  同日午前九時三〇分以降、五~六分毎に子宮伸縮がみられ、同日午後〇時三〇分には、子宮口が三センチメートル開大し、展退(分娩の進行にともなつて子宮の頚管が薄くなること)が九〇パーセントとなつていたため、被告日景医師は、陣痛開始と判断して別室で待機することとした。

(九)  同日午後五時、再度被告日景医師が原告花子を診察したところ、徐々に分娩が進行しており、展退は一〇〇パーセントとなつていた。

(一〇)  同日午後八時三〇分、子宮口が約八センチメートル開大し、胎胞がみられたため、同日午後九時〇三分、宇野助産婦が原告花子を分娩室に移した上、原告花子に付き添つた。

(一一)  分娩室に移るまでの間、第一児については、同日午前三時三〇分以降分娩監視装置を装着して継続的に心音を観察しており(ただし、同日午後三時三〇分から同日午後五時二五分までは一時外していた。)、第二児については、助産婦が数時間おきに、又は、被告日景医師が診察の際、トラウベで心音を聴取していたが、いずれも心音は一三〇~一四〇/分程度と良好であつた。

(一二)  同日午後九時過ぎころ、原告花子に自然破水がみられたが、羊水の混濁はなく、特に異常はなかつた。被告日景医師は、破水の報告を受けて分娩室に行き、それ以降ずつと原告花子の分娩に立ち会つた。一方、伊藤助産婦は、同日午後九時五〇分ころ、宇野助産婦と交代して分娩室に入り、直ぐに手袋をはめるなどして分娩介助の準備をした。

(一三)  同日午後九時四五分、被告日景医師は、陣痛促進剤を投与したが、同日午後一一時二〇分前ころになつても分娩の進行が認められないため、分娩停止と判断して鉗子分娩を行うことを決め、同日午後一一時二二分、第一子である夏子を娩出した。夏子は、出生当時、体重二四二〇グラム、アプガースコア八点であつて、軽度の陥没呼吸がみられたものの、無呼吸発作・チアノーゼ等の症状はなかつた。

(一四)  この間、分娩室内では、第一児については、継続して分娩監視装置による心音観察を行つていた。その心拍数は、概ね一三〇~一四〇/分の間で正常に推移し、同日午後一〇時一五分ころ、いつたん六〇/分に落ちたが、直ちに回復し、その後は出生時まで良好であつた。他方、第二児については、被告日景医師が、主に陣痛の直後に力点を置いて、一〇分ないし二〇分おきにトラウベで心音を聴取していたが、特に異常は認められず、第一児の鉗子分娩にかかる同日午後一一時二〇分の直前ころ、被告日景医師がトラウベで心音を確認した際にも、心拍数は一三〇~一四〇/分程度と正常であつた。

(一五)  第一子の出生後、被告日景医師は、第一子の世話を伊藤助産婦に任せ、直ちに内診を行い第二児の先進部を確認したところ、頭位ではあつたが上肢が先進する状態であつたため、人工破膜を行つて(この際、羊水混濁がみられた。)第二児の上肢を押し上げた。次いで、トラウベで第二児の心音を聴取したところ、三-三-三(五秒間に胎児の心拍が何回聞こえるかを三回数えてあらわしたものであり、一分間では三六回の心拍となる。)の所徐脈となつていたため、胎児仮死と判断した。そこで、被告日景医師は、即座に第二児についても鉗子分娩を試みたが、頭位が高かつたため、二度滑脱した。しかし、鉗子をかけたことによつてやや頭位が下がつてきたため、被告日景医師が原告花子の腹部の上に乗つて第二児を押して伊藤助産婦が取り上げ(クリステレル圧出法)、同日午後一一時二九分、第二子である春子を娩出した。春子は、出生時、体重一九七四グラム、心拍数五〇~六〇/分、アプガースコア二点であつて、自発呼吸がみられず、仮死状態であつた。

2  春子に対する蘇生措置の状況

(一)  被告日景医師は、春子の娩出後直ちに、蘇生措置として、その鼻と口から羊水を吸引した上心臓マッサージを行うとともに、マスク・バッグによる人工呼吸を開始した。その結果、約一分後には、肺の拡張がみられ、心拍数は一〇〇/分に上がり(このため、アプガースコアが三点となり、五分後及び一〇分後もなお三点のままで推移した。)、皮膚色はやや改善したが、自発呼吸は現れず、筋緊張もなく、刺激に対する反応もみられなかつた。

蘇生措置を開始してまもなく、原告花子の子宮付近から出血が始まつたので、被告日景医師は、これに対処して原告花子の胎盤剥離・娩出、膣壁裂傷の縫合、子宮収縮剤の投与等の措置をとらなければならなくなつた。そのため、被告日景医師は、当直医であつた麻酔科の三沢医師に春子の蘇生のため応援を依頼した。被告日景医師自身は、続けて原告花子に輸血を開始するとともに、同日午前三時過ぎころまで、膣内へのガーゼ挿入、子宮の総合圧迫等による止血措置を続けた。

(二)  三沢医師は、同日午後一一時四〇分ころ、同じく麻酔科の小豆原医師とともに来室し、被告日景医師を補助して春子の蘇生にあたつた。三沢医師は、被告日景医師が原告花子に対して措置を行つている分娩台の隣で、引き続き春子に対してマスク・バッグによる酸素投与を行うとともに、血中にたまつたアシドーシス(酸性物質)を中和するため、メイロン三ミリリットルを二回、メイロン五ミリリットルを一回、計三回にわたつて臍静脈から注入した。同医師は、それまで新生児の蘇生にあたつた経験がなく、気管内挿管を一度で成功させる確信が持てなかつたため、直ちに気管内挿管を行わず、すぐに自発呼吸が出るであろうと期待してマスク・バッグによる人工呼吸を続けた。しかし、右措置によつて肺の拡張及び心拍数の改善は認められたものの、チアノーゼは完全には消失せず、出生時から約五〇分間マスク・バッグによる人工呼吸を続けてもなお自発呼吸は出なかつた。そこで、三沢医師は、翌一六日午前〇時二〇分になつてようやく気管内挿管を行つたところ、同日午前〇時三〇分に初めて自発呼吸が発現し、チアノーゼが消失するとともに、筋緊張がみられた。その後、三沢医師は、約五分間、挿管した状態で、春子に酸素投与を続けたが、このまま自発呼吸が継続するものと考え、同日午前〇時三五分には抜管した。この際、春子に啼泣がみられた。三沢医師は、被告日景医師らに対し、また春子の呼吸状態がおかしくなつたら挿管するので呼ぶようにと告げて、そのまま小豆原医師とともに当直室に戻つた。なお、被告日景医師及び三沢医師による春子の蘇生措置は、いずれもインファントウォーマーの上で行われた。

(三)  春子は、体重を測定された上、同日午前〇時四〇分、予め用意されていた保育器へ収容されたが、この時点では四肢末端のみにチアノーゼが現れていた。保育器内の温度は、標準の場合より一度低い三二・五度に設定されていたが、被告日景医師は、温度の設定を看護婦に任せていたためこれに気付かず、以後、保育器内の温度は、同日午前九時四二分に春子の容体が急変するまでずつと三二・五度のままであつた。他方、保育器内の酸素濃度は四〇パーセントに維持されていた。

春子は、同日午前一時一〇分には、心拍数は一三二/分と正常であつたものの、体温は三三・八度と低く、また、呼吸数は六〇/分と多呼吸であつて陥没呼吸・呻吟などの症状を呈していた。

同日午前二時三〇分には、心拍数は一三〇/分とよく保たれていたが、相変わらず多呼吸(六〇回/分)症状を示していたほか、保育器内でうめき声をあげるのが聞かれた。この時点で、全身色は再度不良となり、四肢末端に冷感、チアノーゼがみられた。また、春子の左頭頂部に四×五センチメートル大の血腫が認められたため、被告日景医師は、看護婦に指示してカチーフN一・五ミリグラムを筋肉注射させた。

同日午前四時の時点で春子のリトラクションスコアは六点であり、同日午前五時三〇分の時点では五点であつた。

同日午前六時には、春子は、時折四肢を動かす様子がみられ、体温は三五度に上がり、心拍数も一四八/分と上昇する一方、呼吸数も六四/分と更に増加し、相変わらず陥没呼吸があるとともにうめき声が聞かれ、四肢の末端にはチアノーゼが現れていた。

同日午前八時には、春子の上肢の運動は活発で、体温は三五・三度、心拍数は一四八/分とよく保たれている一方、呼吸数は六二/分と依然として多く、陥没呼吸も継続してみられたが、一部の陥没は軽度となり、全身色はやや良好となつた。

同日午前九時四〇分の時点では、春子に四肢の運動がみられ、啼泣はやや活発となつた。

同日午前九時四二分、春子の容体が急激に変化し、鼻腔・口腔から出血があり、全身にチアノーゼが出現した。

(四)  被告日景医師は、春子が保育器内に収容されて以降、頭頂部の血腫に対してカチーフを筋肉注射した以外には、特に積極的な治療措置をとつていなかつたところ、同日午前九時四二分になつて春子の容体が右のように急変したため、石川医師と二人で蘇生措置を開始し、酸素投与・心マッサージを行うとともに、小児科の有益某医師に診察を依頼した。

春子は、右蘇生措置の結果、同日午前九時四五分、チアノーゼは四肢末端のみとなつたが、同日午前九時四七分、自発呼吸は軽度にみられるのみであつて心拍数も七二/分の徐脈となつたため、同日午前一〇時、有益医師の指示で本件病院の小児科に転科した。

3  小児科転科後の経過

春子は、小児科で保育器内での酸素投与を受けたが、同日午前一〇時一〇分には四肢運動がみられなくなり、同日午前一〇時一五分、心マッサージ等の蘇生措置を受けたが、同日午前一〇時二五分には四肢チアノーゼ・四肢冷感の症状が現れた。この時点でマスクによる酸素投与を行つたが、同日午前一〇時三七分には自発呼吸が停止して四肢運動は全くなくなつたので、アンビューバッグによる酸素投与を開始したが、同日午前一〇時四五分にはチアノーゼが全身に広がつて強度となつた。同日午前一〇時五五分に鼻腔から多量の血液を吸引したところ、同日午前一一時にいつたん自発呼吸が出現して全身色が改善され、剤激に対して弱々しく啼泣がみられたが、四肢運動は全くみられず、ぐつたりとしており、同日午前一一時〇五分には再び全身にチアノーゼが広がつて、自発呼吸、体動はみられなくなつた。同日午前一一時一五分、鼻腔から血液を多量に吸引した後、全身のチアノーゼは軽減したが、同日午前一一時二〇分に気管内挿管をしても自発呼吸は発現せず、足部のチアノーゼが持続する一方、頭部の膨張がみられるなどしたため、有益医師は、NICUのある帝京大学付属病院へ転院させることを決め、同日午前一一時四五分、救急車で転送した。

以上の事実が認められる。《証拠略》中には、分娩室内で第二児の心音をトラウベで聞いていた者はいない旨の供述部分が存在するが、前掲被告日景医師尋問の結果及び同黒川証言に照らし、右記載及び供述部分は採用することができない。

三  請求原因4(転院後の状況及び春子の死亡)の事実は、各当事者間に争いがなく、《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

1  昭和五八年九月一六日に帝京大学付属病院に転院した際、春子には頭蓋内出血及びDICの所見が認められ、更に、同年九月二九日、同病院で春子の脳のCT写真を撮つたところ、脳実質の萎縮・脳室の拡大が顕著であり、脳実質にあたる部分の脳細胞が広範囲にわたつて壊死を起こしている状態(脳軟化)が確認された。

2  同年一一月一一日及び昭和五九年四月二七日に帝京大学付属病院で春子の脳のCT写真を撮つたところ、右1記載の脳細胞壊死が更に進展し、脳細胞のほとんどが融解してしまつていた。

四  胎児仮死・新生児仮死及び低酸素症に関する医学上の一般的知見

《証拠略》によれば、以下の事実が認められる。

1  胎児仮死について

(一)  胎児仮死とは、胎児胎盤系における呼吸循環不全を主徴とする症候群のことをいう。胎児仮死の主要な原因としては、子宮収縮による子宮胎盤血流量減少・胎盤機能不全・臍帯異常等による低酸素状態があげられる。すなわち、胎児血液中の酸素分圧の低下、二酸化炭素分圧の上昇が生じると、これに対応して、抹消血管の収縮・血圧上昇による枢要な臓器への血流を増加させるような血液循環の変化及び効率的なエネルギー消費のための自律神経反射(交換神経緊張による頻脈・迷走神経興奮による除脈等)が現れるとともに、細胞が嫌気性代謝を開始するため乳酸等の有機酸が蓄積され、代謝性アシドーシスが生じる。右の過程が進行して胎児のホメオステーシス(恒常性)の維持が困難になると、胎児心拍数の異常、胎便漏出による羊水混濁(破水後に認知される。)等、胎児仮死の主要症状が発現してくる。

(二)  胎児仮死の診断には、一般に胎児心拍数の異常が重要な徴表として用いられる。正常胎児の心拍数は、通常一二〇~一六〇/分であり、したがつて、心拍数が右の間であれば正常整脈、一六〇~一八〇/分であれば軽度頻脈、一八〇以上であれば高度頻脈、一〇〇~一二〇/分以下であれば軽度徐脈、一〇〇/分以下であれば高度徐脈とされる。

(三)  胎児仮死は、分娩前、分娩中のいずれにも生じうるが、分娩時には子宮収縮によるストレスが生じるため、より胎児仮死に陥りやすい。胎児仮死発生後の経過時間が長いほど胎児仮死は高度となり、新生児仮死が発生する危険性が大きくなる。

2  新生児仮死について

(一)  新生児仮死とは、出生時の呼吸・循環不全を主徴とする症候群をいい、仮死の程度を評価する方法としてはアプガースコアが広く用いられている。アプガースコアは、心拍数・呼吸・皮膚色といつた呼吸循環系の症状及び筋緊張・刺激に対する反応性といつた中枢神経系の状態の計五項目について、それぞれ〇点、一点、二点の三段階で評価してそれらを合計したものであり、一般に、スコアが八ないし一〇点であれば正常、四ないし七点であれば軽症仮死、〇ないし三点であれば重症仮死と評価する。アプガースコアは、通常出生一分後に判定したものを基礎として用いるが、中枢神経系の予後は、出生五分後のアプガースコアに密接に関連するとされている。

(二)  新生児仮死の場合には、初発呼吸の開発が遅れる結果、血液内の低酸素状態が継続することとなり、仮死すなわち低酸素症の程度・持続時間によつては、二次的に脳などの中枢神経系に可逆的・不可逆的な障害を起こすことがある。

仮死児は、蘇生後も肺損傷等のため呼吸不全を起こしやすく、新生児に呼吸障害がみられる場合には、低酸素血症・代謝性アシドーシスが生後一層進行することとなる。新生児が呼吸障害に陥つていることを示す症状としては、チアノーゼ・多呼吸・陥没呼吸・呻吟(うめき声のような呼気音)などがある。特に、長い無呼吸の結果低酸素症となる無呼吸発作は、酸素分圧が著しく低下することから、低酸素症による脳障害との関係で警戒を要する症状とされる。なお、新生児の呼吸数は通常四〇回/分前後であつて、多呼吸とは六〇回/分以上の頻回の呼吸数になつた場合をいい、呼吸窮迫症候群(以下「RDS」という。)をはじめとする多くの呼吸器疾患の際にみられる症状である。呼吸障害の重症度を図る指標として、陥没呼吸(剣状突起部、肋間)・シーソー呼吸・鼻翼呼吸・呻吟の五項目からなるリトラクションスコアがよく用いられ、これによれば五点以上は重症と判定される。

(三)  新生児仮死の場合や体重二〇〇〇グラム未満の低出生体重児では、特に低環境温度に対して容易に体温が下降し低体温に陥りやすい傾向がある。低体温の結果、熱生産性が低下し、代謝性アシドーシスの増強・動脈酸素分圧の低下をもたらすとともに、肺血管の収縮・肺血管抵抗の上昇・右→左シャントの増加により一層低酸素血症が進行するなどの悪循環に陥る。最も効率的な酸素消費が行われる保育器内の温度は、児の出生体重・成熟度等によつて異なるが、出生体重が二〇〇〇グラム弱の場合には、三三・五度前後であり、新生児仮死・呼吸障害等がみられる場合には、熱生産性が低下しているためやや高めとされる。

3  低酸素症について

(一)  低酸素症とは、体組織の酸素不足状態をいい(その極端な場合を無酸素症という。)、理論状、血液中の酸素含量が低下した状態である低酸素血症と、組織へ行く血液量が不足した状態である虚血とに大別される。虚血の方が低酸素血症より脳の障害に与える影響が顕著であるとされ、虚血を伴わない純粋な低酸素血症のみでは不可逆的な脳病変は生じないとの動物実験の結果が報告されているが、仮死においては両者は常に混合して出現する。

低酸素症があると、脳組織に対する酸素供給量の低下がもたらされ、初期には代謝機能が働くが、これが限度を越えると脳に不可逆的な病変をもたらす。

(二)  低酸素性虚血性脳症とは、低酸素血症と虚血が同時に、もしくは相前後して起こつた結果生じた脳障害のうち、後述の頭蓋内出血(脳室内出血・硬膜下出血等)を除いたものをいう。通常は脳浮腫を伴い、その後脳梗塞(脳軟化)に移行することが多い。低酸素性虚血性脳障害が脳浮腫にとどまつている段階ではいまだ可逆的であるが、高度の低酸素状態の継続によつて、神経細胞、神経繊維の脱落・変性がみられる脳梗塞(脳軟化)の段階に移行すると、不可逆的となる。なお、脳梗塞は、脳動脈の閉塞によつて脳症状が出現した状態であり、その結果、脳組織に壊死が起こつた状態を脳軟化という。脳梗塞は、ときには血液の血管外漏出をともない、血腫の形成を認めることもある(脳うつ血)。

仮死から低酸素性虚血性脳症が生じる機序は詳らかではないが、一方で、仮死に伴う低酸素症による代謝障害が一定の限度を超えて進行することよつて脳血流の自動調節機能が破綻すると、心筋障害による徐脈や血圧低下に伴つて脳血流が低下し、脳虚血が発生して脳細胞の壊死が生じ、壊死に伴つて脳浮腫がもたらされるとともに、他方で、低酸素症によつても脳細胞の浮腫が発生し、これは脳実質が水分を含んで膨張した状態であるため、頭蓋内圧の亢進を招くことになる結果、脳血流を機械的に阻害し低下させて虚血を助長させる悪循環を形成するという二つの機序が共存して働いているものと考えられている。

仮死から引き続いて起こる低酸素性虚血性脳症の症状経過については、概ね、次のように考えられている。すなわち、低酸素症の負荷後、数時間は不穏状態や昏睡となり、周期性呼吸や無呼吸を呈するとともに、大多数は筋緊張低下を示し、小さい自動運動がみられる。その後、交感神経優位の状態に移行し、意識障害の改善がみられ(もつとも、無呼吸発作が五〇パーセント程度にみられる。)、興奮気味で原始反射も亢進傾向にあり、易刺激性・頻脈傾向を示す。次いで、迷走神経等の福交感神経優位の状態に移行して再び意識障害が進行し、昏迷あるいは昏睡状態となる。無呼吸が起こるなど脳幹部障害の徴候が始まるとともに、四肢弛緩等の症状が現れる。

以上に記載したような症状の経過時間は、低酸素性虚血性脳障害の程度によつて異なり、また、脳室内出血等の二次的な中枢神経障害が生じることなどによつてもより多様な病態を呈することがある。

(三)  低酸素症がどの程度持続すれば脳に不可逆的な病変をきたすかは、明らかでないが、一般に、胎児等の未熟脳では、成熟脳に比して低酸素症に対する抵抗力が強いとされており、心拍数がある状態(すなわち、完全な心停止に至つていない状態)で出生に至つた場合であれば、それ以前に数一〇分間程度の徐脈を伴う胎児仮死が存在しても、右胎児仮死による低酸素症が脳に不可逆的な病変を引き起こす可能性はまずないと考えられる。

(四)  低酸素症は、外傷とならんで頭蓋内出血(脳室内出血・硬膜下出血等に分類される。)の主要な原因ともなる。中でも、脳室内出血は、低酸素症によるものが比較的多く、また、統計的にはいわゆる極小未熟児(在胎三四週未満又は出生体重一五〇〇グラム未満)に多くみられるが、これは、このような極小未熟児では脳血管が脆弱であること及び仮死の頻度が高いことなどが影響しているものと考えられている。脳室内出血が起こると、血腫によつて髄液の通過障害をきたし、水頭症を併発することが多い。

五  本件脳障害及び死亡の原因

1  前記二、三及び四で認定した各事実に、《証拠略》を合わせると、次のとおり認定判断することができる。

(一)  春子は、夏子出生の直前である昭和五八年九月一五日午後一一時二〇分前ころまでその心拍数に異常はなく、胎児仮死の徴候は一切認められなかつたが、夏子が出生した前後ころ急激に心拍数が低下し、胎児仮死の状態が約一〇分間継続した後出生した。出生当時、自発呼吸はみられず、心拍数五〇~六〇/分の重症仮死状態であつて、その後、心拍数は約一分後に一〇〇/分とやや改善されたが、気管内挿管が行われるまでの約五〇分間、自発呼吸は発現せず、挿管によつて自発呼吸が現れたものの、その約五分後に抜管した後、翌一六日午前九時四二分に容体が急変するまで約九時間にわたつて陥没呼吸・呻吟、多呼吸など重度の呼吸障害を示す症状が継続しており、他方、この間の環境温度は標準より低く設定されていた。

右の経緯を前記四記載の医学上の一般的知見に照らしてみると、出生前の胎児仮死は、約一〇分間程度継続したに過ぎず完全な心停止を伴うものでもなかつたから、それ自体で不可逆的な脳病変を生ぜしめることは考え難く、本件では、胎児仮死及び出生後の新生児仮死による低酸素状態(低酸素血症及び虚血の両方を含む。)に続いて、初発呼吸発現後も長時間にわたり重度の呼吸障害による低酸素血症が持続した結果、この間の低体温による熱生産の低下・肺血管の収縮等とあいまつて、脳組織に対する酸素供給量が不足し、低酸素症の進行によつて低酸素性虚血性脳障害(脳浮腫の発生)及びこれに続く不可逆的脳病変(脳梗塞及び脳軟化)を惹起するとともに、他方で、低酸素症による頭蓋内出血(脳室内出血)を生じて水頭症を併発し、これらが共存して、最終的に、広範な脳細胞の壊死・融解を伴う本件脳障害に至つたものと推認するのが妥当である。

(二)  低酸素症の一般的な臨床症状からみても、本件における春子の症状経過は矛盾するものではない。すなわち、春子は、九月一五日午後一一時二九分に仮死状態で出生した際、筋緊張がなく、刺激に対する反応もみられず、心拍数も当初五〇~六〇/分程度、約一分後に一〇〇/分程度であつたが、その後心拍数は上昇して、翌一六日午前六時から同日午前八時にかけて一四八/分と比較的高い状態で推移し、また、このころから同日午前九時四〇分ころまでは四肢運動もみられ、啼泣も活発であつたところ、同日午前九時四二分になつて全身にチアノーゼが現れ、同日午前九時四七分には心拍数は七二/分の徐脈となり、同日午前一〇時一〇分には四肢運動はみられず、その後自発呼吸は停止し、ぐつたりして刺激に対する反応もみられなくなつたというのであるが、前記四でみた医学上の一般的知見に照らせば、出生後の筋緊張低下及び昏睡状態、その後の意識状態の改善に伴う活発な四肢運動及び心拍数の上昇傾向、それに続く再度の昏迷あるいは昏睡状態・徐脈及び四肢弛緩等の症状の推移は、低酸素症の進行を如実に物語るものであり、その原因は、右(一)記載のとおり、仮死に続く呼吸障害及び低体温状態の継続にあると認めるのが相当である。

2  以上の認定判断に対し、被告らは、本件脳障害は春子の先天的未熟性による脳室内出血から生じた水頭症が原因であつて出生後の呼吸障害等によるものではない旨主張するので、以下この点について検討する。

(一)  まず、前掲石塚証言中には、出生後の呼吸障害等に伴う低酸素血状態のみでは不可逆的な脳病変は生じにくい旨の供述部分が存在し、《証拠略》中にもこれに矛盾しない内容の記載が存在する。しかしながら、右各記載及び供述は、仮死等による循環障害がなく出生した児において出生後に呼吸障害による低酸素血症に陥つた場合あるいは動脈酸素分圧のみを低下させて行つた実験結果について述べたに過ぎず、本件のように、出生前後に仮死が存在し、したがつて低酸素血症のみならず循環障害による虚血状態が先行している場合には、それによつて脳血流の自動調節機能に何らかの影響が及ぼされている可能性があるなど、純粋に呼吸障害等による低酸素血症のみがみられる場合とは自ずから状況が異なるものと考えられるから、出生後に循環障害が存在しなかつたというのみでは、右の各記載及び供述の内容が前記認定を覆すに足りるものとはいえない。

(二)  次に、前掲石塚証言中には、春子は出生時に既に低酸素性虚血性脳障害を負つていた旨の供述部分があるけれども、右供述は、出生前に数時間以上の胎児仮死状態が継続していたことを前提とするものであるところ、本件では、前記1(一)認定のとおり、胎児仮死の状態が継続していたのは約一〇分程度に過ぎないから、右供述部分は、その前提を欠き、採用することができない。

(三)  更に、《証拠略》中には、春子の先天的未熟性が脳室内出血の原因であるというような趣旨の供述及び記載部分が存在し、また、前掲乙第三三号証の文献中には、脳室内出血が児の未熟性と相関関係を有する旨の記載が存在する。しかしながら、右文献の記載は、在胎週数が短く出生体重が小さい未熟児ほど脳室内出血の発生率が高い旨の統計結果を報告するものであるところ、春子はいわゆる極小未熟児ではなく、本件全証拠によつても、春子が具体的に脳室内出血の原因となり得るような未熟性を有していたことを伺わせるような事実は認められないばかりか、かえつて、石塚証人自身、春子程度の在胎週数及び出生体重がある場合に本件のような重症の脳室内出血が生じることは少ないと述べていることからすれば、脳室内出血が春子の未熟性を原因として生じたものと解することは困難であつて、先天的未熟性以外の他の要因によるものと解する方が合理的である。そして、前記四でみた医学上の一般的知見によれば、低酸素症が脳室内出血を惹起する一原因として考えられ、本件でも脳室内出血が低酸素症によるものと考えて特に矛盾は生じないのであるから、結局、石塚証言及びその意見書中の春子の先天的未熟性が脳室内出血の原因であるような趣旨の供述及び記載部分は採用することができず、また、右文献の記載があつても、前記の認定判断を左右するものではない。

他に、被告らの主張を支えるに足りる証拠は見当たらない。したがつて、この点に関する被告らの主張は採用できない。

六  被告らの責任

1  新生児仮死の蘇生に関する医学上の一般的知見

前記四で認定した事実に、《証拠略》を併せれば、以下の事実が認められる。

(一)  新生児仮死は、呼吸循環不全に伴つて循環系及び代謝系の障害を引き起こし、脳などの中枢神経系に後遺障害をもたらすものであるから、これに対しては、まず気道を確保した上、人工呼吸等によつて呼吸循環を確立し、体温を維持してアシドーシスの増強等による悪循環を防ぎながら、その後も全身状態を継続的に観察して呼吸障害を防ぐことにより、できるだけ速やかに児を低酸素症から離脱させることが肝要である。

(二)  仮死状態で出生した児に対しては、まず短時間で口鼻腔・咽頭・喉頭の吸引物を吸引するが、その後にとるべき措置方法は、仮死の程度・児の状況によつて異なり、単に酸素マスクをあてて酸素を投与する方法のほか、マスク・バッグによる方法及び気管内挿管による方法がある。マスク・バッグ法は、第一次的には、ヘッドの反射により自発呼吸を誘発することを目的とするものであり、換気の点では必ずしも完全な方法ではなく、他方、気管内挿管法は、気道確保の手段として最も確実な方法であり、長時間にわたつて大きな換気効果が期待できる。

一般に、生後一分のアプガースコア四~七点の軽症仮死の場合には、吸引に続けて足底叩打等の刺激を加え、酸素投与かマスク・バッグによる人工換気をすることで自発呼吸が発現することが多い。右のような措置をとつても自発呼吸が充分にみられず心拍数が一〇〇/分以下である場合及びアプガースコア三点以下の重症仮死児の場合には、一分間程度マスク・バッグを行つて酸素を与えた上で気管内挿管を行い、心拍数が弱ければ合わせて心臓マッサージを行う。

(三)  気管内挿管を行つて自発呼吸が発現した後、自発呼吸が確立し、体温が安定して抹消循環が回復したことを確認した上で抜管する。仮死児は蘇生後も呼吸不全を起こしやすいので、抜管後も継続して児の呼吸状態を観察する必要がある。呼吸障害の徴候がみられた場合には、その症状の程度に応じ、酸素濃度を上げたり、マスク・バッグ法又は気管内挿管法などの措置を採つて直ちに右症状を改善させ、低酸素症の進行を防がなければならない。

(四)  蘇生の前後を通じて、アシドーシスの増強・低酸素症の進行を防ぐため、児の体温維持には特に注意する必要がある。蘇生作業をインファンウォーマーの上で行うほか、蘇生後保育器に収容するにあたつても、児の体重・状態に応じて最も効率的な酸素消費を行い得るような環境温度を維持し、低体温に陥らせることのないようにしなければならない。

(五)  重症仮死児については、人的物的設備面から充分な管理ができないような場合には、蘇生後直ちにNICUを備えた専門の医療機関へ搬送した上で呼吸循環管理を行うこともあり、昭和五八年当時にも、二四時間体勢で新生児を受け入れる右のような医療機関が多く存在していた。

2  被告日景医師の過失について

原告らは、被告日景医師には、春子に対する気管内挿管の時期が遅れ、その後の体温・呼吸管理を充分に行わず、低酸素状態を改善する措置をとらなかつた過失がある旨主張するので、まず、この点について考察する。

春子は、出生時のアプガースコア二点、出生一分後のアプガースコア三点の重症仮死状態であつて、被告日景医師が羊水吸引後直ちにマスク・バッグによる人工呼吸を開始しても自発呼吸の発現がみられなかつたのであるから、被告日景医師としては、遅くともマスク・バッグを開始してから一〇分程度経過してなお自発呼吸が現れなかつた時点では、これ以上無呼吸状態が継続することによつて低酸素症が一層進行し、春子の脳等の中枢神経系に不可逆的な障害をもたらす危険性を考慮して、蘇生にあたつた三沢医師に指示して速やかに気管内挿管の措置を採らせた上、その後も継続して呼吸管理及び体温維持に留意すべきであり、殊に、本件では、気管内挿管による自発呼吸発現後約五分で抜管しているため呼吸が充分安定していない可能性があつた上、午前一時一〇分には体温は三三・八度と低く、それ以降午前九時四二分ころにかけて多呼吸・陥没呼吸・呻吟等呼吸障害の症状が顕著にみられたのであるから、低体温・換気不全による低酸素症の進行を疑い、時期を失せず自らあるいは三沢医師に指示して適切な治療を施すか、又は、速やかにNICU等適当な設備・技術を有する施設へ転送するなどの措置を採り、もつて低酸素症のもたらす危険の発生を未然に防止すべき注意義務があつたというべきである。

ところが、被告日景医師は、これらを怠り、出生後約五〇分間にわたつて自発呼吸がみられないまま三沢医師にマスク・バッグを続けさせたことは、児の蘇生にあたる産婦人科医として適切さを欠く処置であつたといわざるを得ず、また、自発呼吸発現後も保育器の設定温度が標準より低く設定されていることに気付かずこれを放置し、低体温・呼吸障害等の症状の発現に対しても何ら積極的な治療を施さず、他の専門施設・医療機関へ搬送する等の措置を採らなかつたことは、いずれも、児の蘇生後の管理にあたる産婦人科医として不適切な行為であつて、これらの不適切な行為の結果、春子は、低酸素症の進行により低酸素性虚血性脳障害を負うとともに脳室内出血さらには水頭症を併発し、それらが進行して最終的に本件脳障害を惹起し、死亡するに至つたものであるから、被告日景医師には右注意義務違反の過失があるというべきである。

なお、直ちに気管内挿管を行わなかつたことに関し、被告らは、マスク・バッグによつて春子の肺の拡張及び心拍数の改善がみられたためそのまま続けたものであつて過失とはいえない旨主張し、《証拠略》中にはこれに副う趣旨の記載及び供述部分が存在するけれども、肺の拡張及び心拍数の改善がみられたというのみで直ちに換気が充分であつたということはできず、かえつて、気管内挿管を行つて初めて自発呼吸が発現し、チアノーゼが完全に消失していることからすれば、それ以前のマスク・バッグによる人工呼吸では必ずしも充分な換気が行われていなかつたことが推認されるのであり、更に、前記1判示のとおり、そもそも換気を確実に行うという点ではマスク・バッグ法は気管内挿管法に劣つていること、石塚証人自身も、自分であればより早期に挿管する旨述べていることに加え、生後一〇分のアプガースコアが三点で自発呼吸が出なければ直ちに挿管すべきである旨の前掲菱証言を考慮すれば、出生後約五〇分間にわたつて自発呼吸がみられないままマスク・バッグを続けたことは、低酸素症による脳組織の不可逆的な病変に関する前記機序に照らし、不適切な処置であつたといわざるを得ない。

3  被告財団の責任原因

被告日景医師が被告財団の経営にかかる本件病院の勤務医であること及び同医師の春子に対する蘇生措置がその職務の執行として行われたものであることは、各当事者間に争いがないから、被告財団には、民法七一五条一項に基づき、同医師が前記過失により原告らに与えた後記損害を賠償する責任がある。

七  損害

1  逸失利益

春子が昭和五八年九月一五日生まれで、死亡当時満一歳の女子であること及び出生当時、体重一九七四グラム、アプガースコア二点であつたことは、前記一及び二1認定のとおりであるが、他に先天的な疾患を有していたというような事実は認められず、《証拠略》によれば、右の程度の出生体重及びアプガースコアで出生した場合でも、適切な蘇生措置が行われて低酸素状態が早期に改善されれば多くは正常に発育することが認められるから、春子が成長した場合の労働力は健常人と同様と解するのが相当であり、したがつて、春子は、本件がなければ、一八歳から六七歳まで四九年間就労可能であつたものと推認され、この間、昭和六〇年度賃金センサスによる全労働者全年齢平均年収額である金三六三万円程度の収入を得ることができたと考えられるから、右の額から生活費として収入の四割を控除した上、年別のライプニッツ方式により年五分の割合による中間利息を控除して右逸失利益の死亡時における現在価額を算出すると、金一七二六万五〇〇六円となる。

(算式)363万円×0.6×(19.201-11.274)=1726万5006円

2  春子の慰謝料

本件医療過誤の態様、出生時の状況、死亡に至る経緯、春子の年齢その他本件口頭弁論に現れた一切の事情を考慮すれば、本件医療過誤によつて春子が被つた精神的苦痛に対する慰謝料としては、金一〇〇〇万円が相当である。

3  相続

原告らは、前記一のとおり、春子の両親であるから、右1及び2の合計金二七二六万五〇〇六円の二分の一にあたる金一三六三万二五〇三円が原告ら各自の相続分ということになる。

4  原告らの慰謝料

本件医療過誤の態様、出生時の状況、死亡に至る経緯、原告らの家族構成その他本件口頭弁論に現れた一切の事情を考慮すれば、本件医療過誤によつて原告らが被つた精神的苦痛に対する慰謝料としては、それぞれ金二〇〇万円が相当である。

5  弁護士費用

本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、原告らが本件不法行為による損害として賠償を求め得る弁護士費用はそれぞれについて金一五〇万円とするのが相当である。

八  結語

以上の事実によれば、原告らの本訴請求は、不法行為に基づく損害賠償として、各々、被告ら各自に対し、金一七一三万二五〇三円及びこれに対する本件不法行為の成立した日(春子の死亡の日)である昭和六〇年三月一〇日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文及び九三条一項を仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 富越和厚 裁判官 天野登喜治 裁判官 増森珠美)

《当事者》

原 告 甲野太郎 <ほか1名>

右原告ら訴訟代理人弁護士 森谷和馬

被 告 財団法人厚生年金事業振興団

右代表者理事 翁 久次郎

被 告 日景初枝

右被告ら訴訟代理人弁護士 饗庭忠男 同 熊本典道 同 加藤済仁

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